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倉神社は駅通り(県道35号四日市場上野原線)と甲州街道にはさまれるように位置し、参道は甲州街道の南面に沿います。上野原村の鎮守で新町二丁目の所属です。創建年次は不詳ですが『甲斐国風土記残篇』に古郡幸燈明神、『甲斐国誌』では大宮牛倉明神と記されています。「牛頭天王」から天王森とも呼ばれます。1566(永禄九)年の加藤景忠氏の棟札以下、1604(慶長九)年、1622(元和八)年、1645(正保二)年、1672(寛文十二)年の棟札が『上野原町誌』に収録。祭神は保食神・誉田別命・須佐之男命・経津主命・武甕槌命・天児屋根命・神祖熊野大神櫛御気命・厩戸豊総耳皇子命・護国の英霊と多数です。
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内は約1350坪(4463平方メートル)で、本殿以外に、「撫牛」や「聖徳社」、「楠木正成像」、それに多くの木々あります。普段の境内はひっそりと静かです。 |
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牛は、本殿に向かって右脇にあり、次のような案内碑が建てられています。「古来よりウシは多産豊饒の神の使いとして神聖視されてきました。この神牛を常に撫でれば穢れや災いを祓い除き、吉事を招くと言われています。また痛む処のある人は、自分の患部を撫で、その手で神牛の同じ個所を撫でさすれば、たちまち病気が平癒するとも言われております。」 |
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徳社は本殿からややはなれた境内の片隅にあります。案内板には次のように記されています。「聖徳社 例祭日 一月二十二日 九月二十二日 御祭神 厩戸豊聡耳皇子命(聖徳太子)
皇子命は皇紀一二三四年(西暦五七四年)人皇三十一代用明天皇の第一皇子で厩戸皇子上宮太子とも称され幼少よりご聡明で内外の学問に通じられ推古天皇の御即位とともに皇太子となり摂政としてご活躍され冠位十二階・十七条憲法の制定・国史の編纂また社寺の建立等平和日本の國造りに努力されたことはよく史実が物語っており、私達の片時も忘れることの出来ないお方であります。ことに大工・左官・指物師・鳶職・ブリキ・畳職等の職人・建設業の間では「職人の神」「萬工の祖神」として仰がれ祭られてきました。この御社は上野原太子講保存会により創建されました。」 |
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木正成公像は1940年の皇紀2600年記念事業として建てられたようです。台座には「忠臣大楠公之銅像」と「七生報国 陸軍大将本庄繁謹書」と刻まれています。本庄繁大将は満州事変に関わり、戦後A級戦犯指定を受けたものの、自決し裁判を免れました。上野原にも戦争の時代があったことを感じさせます。「金鵄輝く日本の栄えある光身に受けて…」静けさの中に、どこからともなく歌声が聞こえてくるようです。 |
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大楠公 |
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七生報国 |
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もとは上野原小学校にあったそうです。 |
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